技術と表現と

『技術と表現』をメインテーマに据えながら、自分の興味あることを日々綴っていきます

VRで体験するストーリーは他と何が違うのか

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VRで体験するストーリーは他と何が違うのか


久しぶりの投稿です。
バイトが増えたり、なんやかんやでなかなか更新できていませんでした。
今回もまた『VR』に関する内容です。

今までもVRを使ったストーリーテリングにまつわる話をしてきましたが、
今回は今までより参考文献等がしっかりしていると思います。
一ヶ月分の総まとめとも言える記事ですからね笑

さて、本記事のお題は、

VRで体験するストーリーは他と何が違うのか

です。
このお題の前提として、
『既存の映像メディアを通して体験するストーリー』
『VRで見る映像を通して体験するストーリ』
の比較をしていることだけは明確にしておきたいと思います。
『VRゲーム』で体験するストーリーではないことだけは確認しておいてください。
『VR映画』のような映像を体験するときのことを念頭においてください。

そして、このお題に対する答えを先に述べておきます。

視聴者が主体性を体感・錯覚する点

これに尽きるのです。

正直、結論は取り止めもないです。
というか体験すれば、誰だって気づくような話です。
しかし、その結論を補填する話(理屈)を重視してもらいたいです。
というのも、この理屈が言語化されて記事などになっていることが、今の所ほぼ無いように感じているからです。
直感的に感じているところを、僕の考えた範囲で言語化してみた、ということです。

まぁ、素人の言うことですから、そんなもんか、と思いながら読んでいただければ十分ですが。

そして、今回の話をする上で、非常に参考にした本があります。

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この本を通して、ゲームシナリオについて少し学ばせてもらいました。
そして、その中にたくさんのヒントがありました。
ゲーム制作に携わっている人にとっては当たり前の話かもしれません。
でも、僕にとっては再発見の連続でした。

ゲームシナリオについて

まずVRの話に入る前に、ゲームをメディアとしたストーリーテリングについて話したいと思います。
これを共有しておかないと、結論に至れませんので。

まず、既存のゲームにおいて、ストーリーを伝えるフォーマットが幾つかあることを確認しておきたいと思います。
(上述の本でなされている分類と少し変えています。ゲーマーでない僕にとってのわかりやすさを重視しました)

  1. 一本道のストーリー
  2. マルチエンディングのストーリー
  3. オープンワールドの世界で自分で発見・作成していくようなストーリー

というように、とりあえず3つほど上げておきます。
ゲームを幾つかやったことがある人なら何となくわかると思いますが、
軽くだけ確認しておきます。

1. 一本道のストーリー

FFに代表される多くのゲーム(RPG)がそうですよね。

2. マルチエンディングのストーリー

これは、僕は具体的に体験したことがないのでわからないですが、
分岐点における行動選択に応じて、エンディングが幾つかあるタイプのことでしょう。

3. オープンワールドの世界でのストーリー

ストーリーが自動では全然進まないようなゲームですね、おそらく。
ただ、設定された世界の中に、その世界や主人公についての情報とかがたくさん散りばめられていて、
その情報をもとに体験していくようなものでしょう。

さて、『おもしろいゲームシナリオの作り方 』の本では、ゲーマーに対して行った貴重な調査内容が載っていました。 それは、

Q. 好きなストーリーフォーマットは何か

Q. 今までプレイしたゲームで好きなもの3つ(そして、そのゲームのストーリーフォマットの分析)

です。

そして、結論を言うと、
好きなストーリーフォーマットは、『一本道のストーリー』と『マルチ型』がそこまで差はない(一本道が一番人気)
のに、
今までプレイしたゲームは、一本道のストーリー形式のゲームソフトが圧倒的に多かった
ということです。

ここから言えることは、

一番プレイヤーを感動させるのは、一本道のストーリー形式

だということです。
しかし、実はこの一本道のストーリー形式というのは、映画やドラマ、演劇となんら変わりがありません。
映画やドラマなどは、決まったストーリーを進むだけですからね(当たり前ですが)。

では、一本道のゲームと映画などは何が違うのでしょうか?
それは、ゲームではたとえ一本道のストーリーだったとしても、
バトルシーンなどでは、
プレイヤーが主人公を自由に動かすことができるのです。
つまり、
プレイヤーにとって、主人公を操作しているのは、自分自身であり、

主人公≒自分

という感覚を少しだけ錯覚させることができるのです。
(これは錯覚です。プレイヤーは明確に自分と主人公が別人であることを認識していますから。)

ここが、ゲームと映画などとで最も違う部分です。
FFをやったことある人ならわかるでしょうが、アニメーションシーンなんかは、アニメ映画見てるのとほぼ同じような感覚です。
だからゲームと映画の違いは、自分が動かす感覚のみ、という話も理解しやすいと思います。

(もちろん細かい話は色々あります。でも、今回は飛ばします。ゲームが本職ではないので、その手の話はゲームが本職の方に預けます)

VRでの主体性とストーリーテリングの関連

さて、ここまでくると、勘のいい人なら僕が言いたいことはわかっていると思います。
VRを使って映画やドラマ、アニメーションを鑑賞する際の最大の特徴は、

360度見渡して、その空間を体験出来る

ことです。
(映像の視点が、とある人物の視点なのか、第三者の視点なのか、というので対応方法は違うと思いますが、そこも一旦置いておきます。)

大事なのは、
「空間を体感できる」、すなわち主体性を持って何かを体験しているという価値は、
ゲームでいう主人公を操作することで発生する価値
置き換えて考えることが可能ということです。

つまり、撮影済みの映画と同じストーリーを用いて、似たようなものをVR向けに作ったとしても、
視聴者にとっては、『(360度見渡せるという)主体性の感覚』が一つの付加価値となってくれるわけです。

そして、こういったストーリーに対する付加価値のつけ方というのは、既存のゲームと同じような構図になるというわけです。
ということは、VRで映画やドラマを見たときには、ゲームでストーリーを体験するときのように、
確実に映画やドラマとは違った体験を提供できる、と言えるわけです。


僕が今までの記事を通して、最も言いたかったのはこういうことだったのです。
何となく、VR映画・VRドラマは面白い。1ジャンルとして成り立ちそうだ、と思ってきました。
そして、最近、やっとその考えを補填できそうな考えを見つけられました。

めっちゃすっきりした気持ちでいっぱいです。

文章力が低くて、言いたいことがちゃんと伝わったかは甚だ疑問ではありますが、
とにもかくにも、VR映画は新しい体験として確実に発生するし、面白い。

だから、一本道のストーリーでVRストーリーを作りたい!!!
ということです。

あー、どこかで雇ってもらえねぇかなぁ。。。