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技術と表現と

『技術と表現』をメインテーマに据えながら、自分の興味あることを日々綴っていきます

友の死を伝え聞いて思う・・・

感想 日常

つい最近、友人の訃報を受け取った。
同級生だった。21歳の若さでだ。
あまりにも唐突だったので、一人でいるとそのことばかり考えてしまっていた。
そして、ご家族の意向か、近しい人達による配慮であろう。
SNSで拡散するようなことは避けてくれ。そう言われたのであった。

しかし、自分にはどうしても考えるところがあった。
自分が死ぬ時のことを思えば思うほど、よりリアルに感じてしまうことである。
その思いを、どうしても書き記しておきたい。

今回の記事だけは、ひっそりと公開するにとどめておく。
どこかでこの記事を見つけた人に、少しだけ届いてくれることを切に願う。

過去を思う

実は、同い年の友人・知人が亡くなったのは今回が初めてではない。
小学2年生・中学2年生の時に、1人ずつクラスの同級生が亡くなった経験がある。

特に強く記憶に残っているのは、小学2年生の時のことである。
そいつとは、特別仲が良かったというわけではなかった。
しかし、小学2年生くらいであれば、クラスのみんながそれなりに近い存在であって、
それに、その当時祖父母が全員健在だった自分にとっては、
身の回りで人が死ぬ初めての経験だったのだ。

自分の覚えている限りでは、その彼は踏切の中に入ってしまったボールを追いかけて、電車に轢かれてしまったという話だったはずだ。
そして、その彼のお通夜に、自分たち同級生は参加することとなった。
式が行われている会場のすぐ外で、自分たちは隅に追いやられ、待たされる羽目になるのだが、
小学2年男子達がおとなしくできるはずもなく、遊んでは女子に怒られるというのが何度かあったことを記憶している。
そして、いよいよ焼香する番になり、訳も分からず親に倣って焼香をして、
棺についている小窓から、同級生の顔を見た訳である。

・・・その後、次に思い出せるシーンは帰りの車の中で突然に涙が出てくるところだ。
この思い出自体、もはや本当に記憶なのか、夢として見たものを鮮明に覚えているだけなのかは定かではない。
しかし、亡くなった人の肉体が、どれだけ死を伝えるのか、その強烈さは未だに強く覚えている。

それが、自分の同級生を亡くす、初めての体験であった。

それから6年後、「2」という数字に縁がないのか、中学2年生の時に再び同級生が亡くなった。
不慮の事故だったという。
しかし、その時はほぼ話したことがない同級生であり、
かつお通夜に参加することもなかったためか、ほとんど死を実感することがなかったのだ。

この2つの経験と、一人の祖父を亡くした時の経験(この時はもちろん亡くなった祖父を直接見た)から自分の中ではある仮説が立つ。

『肉体的な死=個の死、が自然と受け入れられる現代において、ある人物の死を痛烈に感じるには、死した肉体に直面する必要がある』

というものである。

現在に結ぶ

今回亡くなった同級生の訃報を受け取ったのは、その同級生のお通夜が既に終わった後であった。
だから、もちろんその人の顔を最後に直接見ることはできなかった。

それと、この1年ほど(これはどの友人に対しても同じだが)、自分は友人たちとあまり会っていない。
「試験が、仕事が」と自分のやりたいことを優先し、対人関係をやや疎かにしてきていた。
亡くなった同級生との関係も例外ではなかった。
この1年、特に半年ほどは会う機会も本当に少なく、特段の連絡もとっていなかった。
だからなのだろうか。
訃報を聞いて時間が少し経っても、その同級生の死を実感することがまるで出来なかったのである。

これは、上述の仮説に通ずるところ(というか今回のこともあって、この仮説を強く実感しているのだが)でもあるが、
今まで亡くなった同級生の中で、一番仲が良かった相手であるにもかかわらず、そういった感覚になるのが、
不思議であると同時に、自己嫌悪をもたらすものであった。

だが、そんな最中、連絡を必死に取ってくれていた友人が、
亡くなった同級生の実家に弔問する約束を取り付けてくれて、仲の良かった友人たちと伺うことになったのである。

これは自分にとって、同級生の死を実感する機会であり、
このことが自己嫌悪を晴らしてくれるかもしれないと、少し期待もしたわけであった。

そして、同級生宅に伺い、遺影の前で線香をお供えし、ご家族と訪ねた友人達が交わってお話をすることになったのだ。
・・・しかしながら、自分は全然同級生の死を実感できなかったのであった。

「なにやってんだよ」
これが線香をあげながら、同級生に思った一番の率直な気持ちだった。
本当に、おそらく骨になってしまった同級生を目の前にしても、信じられなかった。
遺影を前に線香をあげても、全然実感など湧いてこなかったのだ。

ただそれでも、ご家族とのお話の中でところどころに、死を感じてしまう部分はあった。
亡くなる直前の話をしていると、必ずどこかで皆が言葉に詰まりかけ、話題を転換したがるのだ。
「もし生きていたら、〜なっていたはず」
そう思わず続けたくなってしまうから。
しかし、その言葉は絶対に言えない。言ってはいけないと思ってしまう。
同世代の自分たちが、突然に遺族となってしまったご家族に決して言えない言葉だと、全員がわかっていたのだ。

死に対して僕は思う

今回のことが、とても強烈なのは、
何も仲が良かったからだけではない。
タイミングがタイミングだから、というのもとても大きい。
自分は、慶應を辞め、まさに筑波大に入ろうという時期なのだ。
自分の人生は、ここから本番といってもいいような状態なのだ。
そんな時に、同い年の友が亡くなったのだ。
これが、自分だったら、と思うと、とても耐えられるものではない。
「何も成し遂げていない。誰の記憶にも残っていない。
やりたいことはまだ山のようにある。俺はこれからなんだ。」

絶対にそう思う。

きっと、その同級生もそうだったに違いない。
そう思うほど、やるせなさがこみ上げてきて仕方がない。

「◯◯の分まで頑張って生きてください」
そんなセリフは、ドラマの・映画の中だけだと思っていた。
スクリーンの向こう側の話だと思っていた。

でも、これは実際に言われたセリフなのだ。

この言葉、そのまま受け取ると、正直
「無理だよ」
という考えが巡ってくる。
だって、それはそうなのだ。
その人の分、倍生きて、160歳まで生きることなぞできないし、
その人がやりたかったことを、自分が代わりに成し遂げていってあげることも、非常に難しい。

だから、考えた。この言葉の真意を。
これはあくまで僕なりの解釈だから、反論する人もいるだろう。
しかし、はっきりとここで述べておきたい。

『◯◯のことを覚えながら生き、その人が居た証拠を、自分自身の生をもって何かしらで表す』

これが、僕の思う言葉の真意だ。

自分なら、死んだ時、自分のことを忘れられるのが一番辛い。
いなかったことにされるのがたまらない。
でも、いつまでも「あいつの生きていた時にさ〜」、と過去の思い出話だけで終わって欲しくもないのだ。
自分が生きていたからこそ発生した外部の事象。
ここに、自分の存在の射影を見ることができると思うのだ。

余談に触れながら

実は、上に述べたような自分の存在価値の証明方法は、
僕自身のこれからの生き方にとっても、非常に重要になってくる話でもあるのだ。

たまたま、今日見つけたツイートなのだが、
これが非常に刺さった。
僕は、自分が時代に名が残るほどの寵児だとは思っていない。
なれるとも正直あまり思えない。
しかしながら、僕自身が思う価値のあることをやっていくという、強固な覚悟は持っているのだ。
そうなった時に、どうやったら僕が満足できるような状態になれるか、というのがとても重要になってくる。

名を残せないが、生きた証が欲しい。
そうなると、モノを作るか、人に影響を与えるしかないのだ。


今回、亡くなった友人は、まだ21歳だった。
何かを成し遂げて、社会にモノ・コトを残すには、まだ時間が必要なタイプだった。
そんな友人に、僕がしてあげられるのは、

  • 忘れないこと
  • その友人から僕が受け取った思いを形にすること

だと思っている。
こうやって、文の形に残すのも、僕の思う一つの意義ある行為なのだ。

死は、本当に遠くなかった。
だけど、一番忘れていたいことでもある。
毎日を強く強く生きていくしかない。

頑張るしか、ないのだ。