山田孝之のカンヌ映画祭 〜企画を立てるとはこういうことだ〜
Netflixでたまたま見かけた『山田孝之のカンヌ映画祭』
山田孝之のカンヌ映画祭 (Amazon Prime Video)
最初に知ったのは実はもっと前だった
山田孝之が歌うまい、という話題に乗って流れてきたこの曲が『山田孝之のカンヌ映画祭』のOP曲だったのだ
でも不思議と、これを見た時には本編を見ようとは思わなかった
なぜか
それは、山下監督・松江監督の作品だと知らなかったからだ
山田孝之・山下/松江監督のタッグは今回が初めてのことではない。2回目である
山田孝之の東京都北区赤羽 (Amazon Prime Video)
Amazon Primeで初めて見た時の衝撃は忘れられない
あの味わいをもう一度体験できるのか
そう知ってしまっては見ないではいられない
だから、『山田孝之のカンヌ映画祭』を見たのであった
※以下、ネタバレを含みます ※ただネタバレがあっても、今作の重要なポイントではないとも思っています
概要
今回の作品は「山田孝之がカンヌ映画祭を目指す」という企画のドキュメンタリードラマである
「なんだ。ただの企画ものか」と見くびってもらっては困る。 企画を出したのは監督陣ではない。 山田孝之本人が「カンヌ映画祭の賞を獲る」といい、そのために山下監督を引っ張り出してきた様子をドキュメントとして追ったドラマなのだ。
色々とおかしい
「役者」が「カンヌ映画祭の賞を獲る」ために「映画を作る」のだ
普通ではない
そしてもう一つ。これは「ドキュメンタリー」なのだ。 予定調和のない、着地の見えぬまま撮影していくパターンなのだ。
しかしあえてそこにドラマという言葉が付け加わっている。 これは僕が付け加えたわけではなく、山下/松江監督が自分たちの作品を説明するために作った造語だ。
あれは「フェイク」ではなく「ドキュメンタリー」だと思っていて、しかし『情熱大陸』のような番組と同じかというと、また違う。
そう。起きている事実は全て現実のもの。 しかし『情熱大陸』とは違う。そこには明らかに「起承転結」があるのだ。
現実は小説より奇なり
という言葉がある。僕はこの言葉が大好きだ。フィクションよりノンフィクションの方がドラマチックだと思っている。
下手な小説なんかより自分の人生の方がよっぽど面白いとさえ思っている。
だから、この「ドキュメンタリードラマ」というのはたまらない。
僕たちの現実が、本当に刺激的でドラマチックだということを教えてくれるから。
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企画を立てるとは
※ネタバレします
さて、この記事の題名にまつわることにもそろそろ触れていこう。
「企画を立てるとはこういうことだ」
と銘打った。
それは、山田孝之が企画を立て最終的に失敗していく過程が、企画を立てる時の典型的な失敗例として超生々しく描かれているためである。
事の顛末をざっくりとだけ書いておこう。
- 山田孝之がカンヌ映画祭で賞を獲るための作品作りをしたい、と企画を立てる
- 山下監督を監督とし、山田孝之はプロデューサーとして作品作りに参加。芦田愛菜を主演に立てる
- パイロットビデオを作成。大手の映画配給会社に予算採りに動く(失敗)
- ひょんなツテを利用して、予算を確保
- カンヌに行って雰囲気を知る。その前後でパイロットビデオを見せて、フィードバックをもらう
- カンヌ映画祭で賞を実際に獲った日本人監督の元を訪れる
- その監督に「賞を獲ることを出発点にすることへの違和感」をストレートに指摘される
- しかし、自分たちを信じ撮影へと入っていこうとする
- 予算を含め様々な問題が重なる。しかし、山田孝之は自分のやり方を貫こうとする
- 破綻
これを見ただけでも、胃が痛くなる思いである。
自分で企画を立てたことがある人間だったら、この辛さは確実にわかるだろう。
僕も結局完遂できなかったが、企画を立ち上げようとし、完全に失敗したことがある。
この失敗劇が、密着ドキュメンタリーとして、起承転結をもって、繰り広げられていくのだ。
山田孝之の何がいけなかったのか
僕も大層なことを言えるような人間ではない。 きちんと企画を立てて成功させたことさえない、脆弱な人間だ。
それでも、一度同じような失敗をしたことがあるから、何がダメだったかだけは少しわかる。
山田孝之は明らかに、賞に、そして方法論に執着しすぎてしまっていた
「賞を獲るための方法論は分析すれば出てくるはず。そしてその方法を使えば絶対に獲れる」
これはその業界のことをよくよく知らず、外から見た人がよく思うことである。 僕自身の企画もそんな感じだった。
でも、これはだいたい失敗する。
足元が全く見えていないのだ。
企画を実現させるためには様々なやるべきことがあるが、まず作品のようなモノを作る段階で「いちいち」いろんなことが起きる。 それを想定するためには、業界での経験がどうしても必要だったりするのだ。
山田孝之の場合、役者としての経験がある分、映画の「撮影」や「広報」に関連する部分には明るかったと思われる。 その経験がある分、業界への違和感も持ち合わせ、「こういう問題を解決するような」あるいは「今までの慣習をぶっ飛ばすような」「新しい方法論」を提示することが可能だった。
そして、そのビジョンは正しく、それゆえに人も付いてきた。
しかし、映画を作るには「予算を獲る」ことも必要だったし、そもそも撮影の上で「妥協一切なしに」「新しい方法論に固執」することは並みの環境では実現できなかった。
これも同じようなことをしようとする時に、長年連れ添ってきたチームがあり、皆阿吽の呼吸がわかっているような中であれば、新たな方法論に固執した上での作品作りもできたかもしれない。
しかし、あくまでもこの企画の出発点は「カンヌ映画祭で賞を獲る」であってしまったのだ。
そこを無くして話を進められなかったのだ。
もうお分かりだろう。
よくある企画の失敗パターンを丁寧に踏んで行ってくれたのだ。
それでも
これは偉大な作品だと思う。
これだけの失敗劇をありのまま提供してくれるなんて、本当にすごいと思う。
僕だったら、失敗をなかったことに、そこまでできなくてもあからさまに残るような形を避けてしまうと思う。
この作品が、ベンチャーを、企画を、何かをこれから立ち上げる人、過去に立ち上げた人全員に届くといいな、と思う。