技術と表現と

『技術と表現』をメインテーマに据えながら、自分の興味あることを日々綴っていきます

独立してBy Nameで生きていく 〜価値主義とDeep Acting〜

こんなことを書いたものの、何も一般化できないのは悲しい。
それに自分なりの理解をもっと深めておくべき。

そんな考えから、受けたアドバイスの一部を極力一般化して腹落ちするレベルまで考えてみました。

表題は、「独立して生きていく 〜価値主義とDeep Acting〜」としています。
大きな流れとしては、つい先日からのVALUの話の流れを組んでいます。

yamamoto-info.hatenablog.com

「価値主義」「Deep Acting」という言葉はそれぞれ、佐藤航陽さん林教授の資料から拝借してきた言葉です。
この2つの言葉の解説は追ってしていくこととします。

さて、今回扱う落合さんからのアドバイスというのは、
「Academic Reputationを確たるモノにする」
「Academicの事実は希釈できない」
です。

話はちょっと長くなりますが、進めていきましょう。

どんな人生相談をしたのか?

端的にいえば、
- どうすればBy Nameで生きていくことができるか?
- 直近5年とかはどうやっていけばいいのか?
ということです。
By Nameで生きる意味、あたりは前回のVALUに関する投稿の際に書いた通りです。
しかしながら、それをどうやって実現していけばいいのか?
どうやったらVALUや類似サービスにおいて色んな人に支援してもらえるような人間になるのか?
という話はほとんど出来ずにいました。

それに関する答えが上記にあげた落合さんのアドバイス内容になります。

Academic Reputationを確たるモノにする

さて、このReputationというものは何でしょうか?
Webで意味を検索すると、「評判、世評、好評、名声、令名、名望」といったものが出てきます。

そこにAcademicがかかってくるということは、「学術的な評判」を高めろということになります。
ここまでいくとイメージが容易につくと思います。
学会とかに論文を通して、学術貢献をしていけば、実績を積んでいけば、Academic Reputationをあげることができます。
しかしながら、なぜそうすることがBy Nameで生きていくことに繋がるのでしょうか?

それは、Academic Reputationは資本に転換することができるからです。

ここで次の図を見ていきます。

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中心の円がSocial (Social Reputation) で、それを取り囲むように様々な分野のReputationが存在することがわかります。
Reputationが被っているところは、両方の分野でReputationを獲得しているような状態です。
そして、Business以外の分野は全てBusinessへ矢印を向かわせることができます。

これは、Business以外の分野におけるReputationは全てBusinessに還元することができるからです。

例えば、Academic Reputationがある人にはその専門分野のトップレベルの話が入り込んできますし、最先端の技術や理論をBusiness化することは、Reputationのある人にしか技術的にもタイミング的にもできません。
これは、ほかの分野にも共通して言えます。

(By Nameで生きる=Nameの価値を上げて資本を手に入れて生きていく=Reputationを上げて資本を手に入れて生きていく)

しかしながら、なぜBusinessは回帰できないのでしょうか。

それは次の「事実の希釈性」の話に繋がっていきます。

Academicの事実は希釈できない

さて、そもそも「事実」とは一体なんでしょうか?
ネットで意味を調べると「実際に起こった、または存する事柄」などと出てきますが、僕はその重要なポイントは「事実は誰かに観測されて初めて事実たり得る」ことだと思っています。

もう昔のことに感じますが、Academicの事実に関して大きな騒動がありました。小保方事件 (STAP細胞事件) です。
あの時、論文に記載された内容は「事実だったのか」「事実でなかったのか」物凄く議論を呼んでいましたが、それを報道するニュースが本当かどうかなぞ、多くの人は気にしなかったはずです。

これがAcademicの事実を希釈できない理由ともいえます。
学問というのは反証可能性に基づくものであり、他分野に比べて極めて高い事実精度が要求されるのです。

そして、一度Academicな評価を獲得すれば、その評価を後から貶めることは容易でなくなるというわけです。


さて、ここまでがアドバイス内容でした。
もちろんこれで僕自身が取るべき戦略はある程度見えてきます。
しかし、今回の話はアドバイス内容から話を一般化して、汎用的に使えるような思考に落とし込むことが目標です。
なので、ここからもう一段深めて話を進めていきます。

これからが本題です

Reputation = ‘価値’

さて、表題につけた「価値主義」という言葉を説明する時がようやくきました。
この言葉は、以下の佐藤航陽さんのブログ記事から転載しています。

ポスト資本主義社会を考えてみた:『価値主義』と『情報経済』 | 佐藤航陽のブログ

そもそも、お金というものはなんなのか、という話から始まります。
誰しもが小学校か中学校で習うお金の3大機能が以下です。
- 価値の尺度
- 交換の媒介
- 価値の保蔵
ここでいきなり「価値」という言葉が出てきます。金銭が登場する前の世界を想像する方がわかりやすいですね。
物々交換をしていた頃、物の価値は何と交換できるか、という具合に他の物によって定義されていたわけです。
これが原始的な価値です。

で、お金はそれを「保存」しておくことを可能にしたのです。時間軸の登場です。
しかし、実は今の時代はその一歩先に進んでいます。
それがブログ中にも出てくる「価値主義」(貨幣主義・資本主義に対する造語と思われる)です。
価値主義の世界の中では、価値と価値が直接交換できると僕は思っています。
これは原始的な物々交換の世界に戻ったような感覚です。

佐藤さんは例として、「100万人のフォロワーを持つ無一文の男」を挙げています。
彼は確かになんらかの金銭は一切持ち合わせていないのですが、お金を生み出しうる「価値」を保有しています。
つまり「100万人のフォロワーを持っていること」=「価値」であり、これを下支えするのは紛れもなく「資本」です。

さらにこの「価値」が存在することができるのは、インターネットを介して常に客観的な評価を受け続けているという前提が存在するからでもあります。
あらゆる情報を手に入れることができ、誰もが閲覧可能なインターネットの中では、「価値」というものは常に競争に晒されているのです。

こうして、「価値」の客観性を理解することができました。次に「価値」が資本よりどうしていいのかを説明していきます。
端的に言うと、「価値」は「使っても減衰しないから」です。

「資本」は、確かに「価値の保存」を可能にすることで時間軸を与えてくれました。
しかし、使えば使った分減衰してしまうのが惜しいポイントです。

けれども、「価値」というのは使っても使った分減衰することがないのです。
先の例で挙げた、「100万人のフォロワーを持つ男」で考えてみると、この価値を用いて、「君のことを拡散してあげるから家に泊めてくれ」や「このお店を紹介するからタダで飯を食わせてくれ」ということを実現可能なのです。
しかも、こうしたことをしても「価値」は「資本」の時のような減衰を起こしません。
これが「価値」の強みです。

確かに、そこまでの「価値」にしていくには時間と努力が必要です(時間積分の結晶と言える)。
ですが、一度手に入れてしまえばそう簡単に失うこともなく、大きなレバレッジを生み出すツールとなってくれるのです。
これはまさしく、「Reputation」と同じ機能を担います。

つまり、落合さんのいう「Reputation」と佐藤航陽さんのいう「価値」というのは実は大きく似ている部分があり、世界を違った言葉で表現しているだけだったのかもしれません。

Business界隈で ‘価値/Reputation’ を獲得することの難しさ

ではなぜBusiness界隈では、「価値」を手に入れることが難しいのでしょうか。
それは、インターネットを介して常に客観的な評価を受け続けているという前提を獲得することが難しいからです。

インターネットで常に客観的な評価を受けるというのは、自由市場の中で「価値」が決まっていくことを意味し、「価値」の大きさは市場価格として決定していきます。
このプロセスは、資本主義をベースに、「資本」を保険として利用する価値主義において正しく機能することが想像できます。

一方、Business界では、特に社内評価がわかりやすい例ですが、なかなか自由市場の中で計られません。
どれだけ働いたとか、どれくらい貢献したというのが自由市場の中に落とし込まれないのです。

ただ、この構造はAcademicでも同様です。
違いがあるのは、価値を保証する組織の性質です。
Business界でどれだけ働いたというのを保証する会社は、多種多様で、その価値も不定です。ドメスティックな企業も多く、いくら特定の企業で優秀な成果を上げても(頑張っても)、市場価格と連動することが難しいわけです(Google, Microsoftなど一部の世界的企業ともなれば、保証になる可能性も高まりますが)。
一方、Academicの組織は、歴史や倍率・競争率が企業のそれとは異なります。
学問というのは、特定の地域に縛られることは原則なく、世界のトップレベルの人たちによって評価が下されるわけです。
そうなれば、Academicに受けた評価は自由市場とはプロセスが異なりますが、十分に保証の効くものとして考えられるわけです。

こうした点からも、Academic Reputation >>>> 一企業内での成果、という思考に一理はあることがわかります。

独立して自分の市場価格を獲得していくべき社会的事情

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さて、社会的事情はほとんど話すまでもないことではありますが、Computerなどに仕事を奪われた人たちが失業から脱却する上での指針として表題の2つ目のキーワード「Deep Acting」を用いたいと思います。
AI技術の発展で、多くの仕事が機械に取って代わられることは必至です。
しかし、残念ながら絶対に人間の数は減りません。
上記の写真のように、Computerに仕事を奪われて仕事を失う人は多数出てきます。
では、そういう人のことはベーシックインカムで養えばいいのか?と言えば、それで済む話ではないと僕は思います。

というのも、仕事がなくなっても、その人たちの間で必ず相対価値が発生するからです。
相対価値を作れて、水位差を作れてしまうなら、それを利用してしまうのが人間の性だと思います。
「人を幸せな気持ちにする自然な笑顔」とかもその一つに思えます。
これはそう簡単に機械が真似できるようなものではありません。
価値主義以前の社会であればこんなものは何の価値もありません。
ですが、価値主義においては「価値がある」と思えば価値が発生するのです。

これは「感情資本主義社会」の影響でもあるでしょう。

感情資本主義社会

情報歴史社会学入門メモ(11) 2014.06.25

この感情資本主義社会についての詳細は、林教授の授業資料に預けますが、一つ簡単な例を上げておくと、

マクドナルドで働くには無料の笑顔の surface acting で十分だが、ディズニーランドのキャストは deep acting を求められている

というものです。
マクドナルドの無料の笑顔は、もはや価値が減衰する一方ですが、ディズニーのキャストの感情労働はまだまだ価値を持ちます。
ここが機械に取って代わられない一つの安全地帯です。

さて、これを先ほどの「失業者」にどう応用すればいいのでしょうか?
単純な話です。職を得るために、Deep Actingをし続ければいいのです。
Deep Actingは本当に人格が変わるくらいの効果を持っています。
俳優・女優の中には、スタニスラフスキー・システムの影響で精神病になってしまう人もいるくらいですから。

社会で生き抜くために、自分自身で選択的に自分のことをDeep Actしていく
そうすれば、おのずと自己変容を達成することができ、結果として生き抜くことができるようになると思います。
しかし、ここで先にあげたリスクが常につきまといます。
もともとの自分とかけ離れた人物像としてDeep Actしていくと、自己との乖離が進み、精神がおかしくなる可能性があるのです。

だから、自分が好きなことをしなくてはいけないのです。
自分に合ったことをするのは、何も一部の人にのみ許されることではありません。
むしろ、全員がそうしなければ生き抜くことができない、社会の要請として常に存在するのです。


最近、ずっと何かと戦っているような気分です。
言い知れぬ怒りや不満が根っこの原動力になっているかのようです。
友人・知人が皆楽しく生きていける世界であることを願っています。


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