技術と表現と

『技術と表現』をメインテーマに据えながら、自分の興味あることを日々綴っていきます

魔法の世紀 と 再魔術化論

yamamoto-info.hatenablog.com

前回の記事が、かなり途中の段階で終わってしまっています。
ただ、それには大きな理由があります。

「再魔術化」に関しての論を調べ、考えてみたときに、かなりの時間がかかってしまったからです。

前回の記事では、坂根さんを登場させながら、再魔術化論に軽く触れ、
魔術師・錬金術師などの存在の歴史にも触れながら、
落合さんのいう「魔法使い」という存在を、分析的に見てみようという試みでした。

しかしながら、この再魔術化論というのが非常にやっかいだったのです。

そこで、前回の記事は、その頓挫した状態のまま残し、
一旦、再魔術化論というものだけに絞って、話を進めていくことにしたいと思います。


(今回の話は、途中で出てくる京大の林教授の「再魔術化」という題目で行われた講義資料を読みふけってもらいたい、というところに結論は帰着しました。)


「魔法の世紀」で出てくる再魔術化論

そもそも落合さんの著書の中で、この再魔術化論というのはどのような形で出てくるのかをまず紹介しておきます。
大幅な引用になるわけですが、ニコニコ動画の方で公式に公表されている箇所だったので、そちらから転用します。

http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar918224

 では、この新しい時代を支える新しい技術のことを、僕はなぜ「魔法」と呼ぶのでしょうか。
 社会学者のマックス・ヴェーバーは、かつて「脱魔術化」という言葉で、社会に科学が浸透していく過程を表現したことがあります。例えば …… 火で炙ったり茹でたり ……. その理由は「炎が穢れを浄化するから」という、現代の自然科学の考え方からすると魔術的、迷信的なものでした。……
 ところが、現代社会の仕組みはあまりに複雑で難しくなっています。原子力発電はなぜ可能なのか、インターネットの仕組みはどうなっているのか、マクドナルドのあの安価な商品はなぜ提供可能なのか―― …… 仕組みがよくわからないまま、人々は社会活動を行っています。
 こうした社会の変化は、アメリカの社会批評家モリス・バーマンの著作『The Reenchantment of the Worl(世界の再魔術化)』の中で、「脱魔術化」に対応する「再魔術化」という言葉で定義されています。…… 本書ではバーマンの「再魔術化」がユビキタスコンピュータの社会普及に伴い、より本格的に進行していることを指摘し、今後の世界についてできるだけ具体例を挙げながら記述することを目標にしています。…… その仕組みはまるで魔法のように、ますますわかりにくくなっているのです。

更に続けて、「魔法」という言葉の説明が展開していくのですが、その点は一旦省略し、「魔術化」という言葉について、考えていくことを進めます。

ちなみに、ここで落合さんが語る「再魔術化」論は、バーマンの著書をベースにしている内容になっていますが、
この箇所ではやや誤解が生まれそうだなと個人的には感じています(自分もちょっとした勘違いをしていました)。
それがなぜか、というのは読んでいくうちにわかっていただけると思います。

再魔術化論をサーベイする

最初に見つけた博士論文

バーマンの著書は、日本語訳されたものだと、amazon価格でも中古で5000円弱というほどの金額で、ちょっと簡単に手を出せなかったことや、
更に各本屋でも取り扱いすらほとんどないという状況もあり、バーマンの著書自体を読むことは今なおできていません。

そんな状況で、webを中心に「再魔術化」ということで調べてみたものの、参考資料はとてもとても少ないのです。
ただ、その中でもこれはまだ読むに値するかもしれないというものが一つだけありました。
それは、とある学生の博士論文でした。

再魔術化の文化研究 -20 世紀後半期における自己変容の技術と欲望-

この論文は、タイトルからしてもまさに再魔術化を取り上げており、博士論文ということもあって分量もかなりあったので、これは読み応えがあると思い、まず読み進めていきました。

しかしながら、まず最初に気づくのは、この論文で取り上げられている「再魔術化」という言葉は、
リッツァーの著書『消費社会の魔術的体系――ディズニーワールドからサイバーモールまで』
をメインに参照したものであったのです。

そして論文を読み進めていくにつれ、この論文が「消費主義」と関連した話を主に展開してくることに気づきます。
つまり、リッツァーの著書は、著書名からも推察できますが、「消費」という経済的な活動に焦点が当てられた「魔術化」の話だったのです。

これがなぜかというのは、ヴェーバーの性質を考えてみればわかります。

 社会学者のマックス・ヴェーバーは、かつて「脱魔術化」という言葉で

と落合さんも著書中で述べるように、まず「脱魔術化」という言葉を最初に用いたのはマックス・ヴェーバーです。

マックス・ヴェーバー社会学者でありますが、その分析対象は、経済的な面と宗教的な面の両方を含みます。
彼の最も有名な著書は、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(通称「プロ倫」)です。
これは、近代化の流れをプロテスタントの性質に見るというようなもので、ここからもその分析対象の広さが伺えるわけです。

そして、このヴェーバーの理論に続いて、何かを論じるときに、ヴェーバーの経済面の分析を引き継ぐ場合もあれば、宗教面の分析を引き継ぐ場合も出てくるのは必然と言えましょう。
リッツァーでいえば、前者(経済面の分析)をメインに引き継いだというわけです。

ここで困るのが、「魔術」という言葉です。
落合さんの著書から入った僕にとっては、「魔術」というのは完全に宗教や科学に対してのものとして考えていました。
そうすると、経済分析の面から出てくる「魔術化 / 脱魔術化 / 再魔術化」という言葉には困惑してしまうわけです。

その結果、この論文では十分な理解が得られないことに気づき、そうして再びネットの中へ「再魔術化論」を探しに潜ったのです。

京大の授業に見つけた「再魔術化論」講義

時に大学の講義資料が公開されていることはありますが、今回はそれに救われました。

講義は2014年の前期に、京都大学の教授 林晋 さんによって行われたもので、その題目は『再魔術化』
まさにそれ、というわけです。
ちなみに、この教授の専門は「情報・史料学」というらしく、あまり聞きなれないものだったのですが、
他にも公開されていた講義資料を散見させていただいたところ、結構面白いなぁ、と思いました。

シラバス
第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 第12回 第13回 第14回

 社会学マックス・ウェーバーの脱魔術化は、彼の近代化論の中枢概念の一つであるが、198 0年代以後、それへのアンチテーゼともいえる「再魔術化」という概念が、歴史学社会学などの 様々な分野において登場した。サイバー空間が世界を覆いつつある現在、再魔術化の進行は、ます ます顕著になりつつある。再魔術化は、脱魔術化以前への後戻りではなく、むしろ、「近代化」の 進展の帰結だからである。
 脱魔術化とは何か、また、それは何故起きたのか。そして、今後、それはどこまで、どのように 進んでいくのか。これらの問題を、歴史社会学、および、社会哲学的手法を用いて分析する。
 分析の対象とするものは、主に次の四人の著者の諸著作であるが、これ以外に、数学におけるヘ ルマン・ワイルの思想なども検討する。また、検討対象は、さらに増える予定である:
   Morris Berman: history, sociology (social criticism?)
   Anne Harrington: history of science
   George Ritzer: sociology
   Alan Bryman: Organisational and Social Research

シラバスより)

そもそも『脱魔術化』とは

これを説明するのに、京大の講義資料の一部テキストと画像を引用していきます。

以下の説明は、Wolfgang Schulchterという最も有名なヴェーバー研究者の論文から、林教授が脱魔術化のポイントを抽出したものになっています。

  1. 古代ユダヤ教という、最初の一神教が生まれたことにより、脱魔術化の第一歩が始まる。多神教の方が自然。多くの神は、多くの聖霊、魂。
  2. しかし、ユダヤ教には、魔術的要素がある。脱魔術化は長い歴史により実現された。
  3. ギリシャ的合理性の哲学とキリスト教の統合、教会による宗教の統合などを経て、決定的に重要だったのは、16-17世紀のプロテスタンティズム
  4. ウェーバー社会学の特徴として、このプロテスタントの思想を近代の思考方式の始まりとみなすという点がある。ウェーバーは、プロテスタント
  5. 一つのポイントは:教会や秘跡による救いの概念の放棄。たとえば、カルヴァン派の教義にその極端な形がみえる。キリスト教の絶対的神は妖精や日本の神様のように取引をしないということ。賽銭や供物をあげてもだめ。
  6. そして、脱魔術化されたキリスト教を、さらに自然科学的思考が、つまり、ヨーロッパのもう一つの伝統、ギリシャ的伝統が、さらに脱魔術化し、現代の脱魔術化成立。

そして、この説明を補足するための画像が以下になります。

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まず第一歩として、最初に人類が感じる世界としては、多神教の世界が自然であるという前提が置かれます。アニミズムの世界観ですね。
そこから古代ユダヤ教の誕生に、脱魔術化の第一段階を見るというのが、ヴェーバーの脱魔術化の第一歩です。
これが、図でいうところの一番右の世界観から、中央の世界観への変換に相当するわけで、上の6つのポイントで言えば 1. に相当するわけです。

そこからは長い長い歴史があるわけですが、歴史的事象で言えば、宗教改革産業革命のようなものを境に、脱魔術化の完了を見るわけです。
それに伴って、自然科学の合理主義が社会の主軸に入り込んできます。
これが、図で言うところの中央の世界観から、左の世界観への変換に相当していて、上の6つのポイントで言えば2.~6.に相当するのです。

上述のように、脱魔術化の過程を軽くさらってきたわけですが、もう少し合理主義の観点から話をするとすれば、あらゆることが科学的(合理的)に説明できるだろう、という前提が採用された世界と言えるのです。
例えば、

火で炙ったり茹でたり ……. その理由は「炎が穢れを浄化するから」

と最初に引用した話を取り上げます。
火で炙ったりすることで、体を壊さずに肉や野菜を食べれるという、この現象自体は脱魔術化の前後でなんら変わっていません

変わったのは、人々の価値観・考え方のみです。

魔術化された世界では、「浄化」という神的な理論で世界が理屈づけられていました。
一方、脱魔術化した世界では、細菌を高温で殺すとか、消化によくなるなど、科学的(合理的)な説明がつくわけです。

そしてこれはあらゆる事象に対して発生している現象で、落合さんが例に挙げている、

原子力発電はなぜ可能なのか、インターネットの仕組みはどうなっているのか、マクドナルドのあの安価な商品はなぜ提供可能なのか

も全て(多大な困難が付随するとしても)合理的に説明できるという前提に立っているわけです。この「前提に立つ」というのが最重要なわけです。

原子力発電が魔術的だ、と言ってしまうのは脱魔術化の世界とは少しズレてきます。
脱魔術化の世界では、万人があらゆる現象を説明できる必要はないはずです。現象を説明することの難しさが魔術か否かの境界ではないはずです(理屈の上での話としては)。
(それは魔術化された昔の世界でも同様だったはずで、そのために教会に司祭さんがいたり、階級制みたいな形で世界を語る語り手的存在がいたわけです)

このポイントが落合さんの説明とのズレです。
なぜ僕が落合さんの説明とズレるのかは、僕が採用したい(論拠にしたい)説明において、再魔術化の根拠と見ているものが恐らくバーマンのそれとやや異なるからです。
これはもう少ししたらでてきます。

『再魔術化』論

今回の記事の再魔術化論で一番中心的に採用していきたいのは、林教授の話の中で出てくるハリントンユクスキュルに見る際魔術化論です。
講義資料でいうと、第9回 第10回 に相当する箇所です。

Ann Harrington

ハリントンの著書『19-20世紀ドイツ生命科学における再魔術化論』(『 Reenchanted Science』)が講義の中では取り上げられて話が展開しています。
全体的な詳細の話を知りたい方は講義資料をご覧いただくとして、ここでは一部を抜粋しながら論を進めていきます。

ハリントンの本のテーマ:自然科学的学問の中に、「失われた価値」を見出そうとした、生物学者、神経学者 nurologists、心理学者たち

この人たちは個別にはそれぞれ様々な方向性を持っていたが、それらを一つの言葉でまとめると「Wholeness 全体性、いわゆる、ホーリズム Holism の思想」に帰着するといいます。

  • 自然科学でいうと、生命に細胞を集めたもの以上の何かを見出そうとするようなこと
  • システム・情報が技術として確立された時代では、すでに市民権を得ている考え方

これは全くそうで、例えば脳なんかもオバマ政権時代に発表されたBRAIN initiativeの目標が「全ニューロンの個別的動きを理解することではなく、総体としての機能の理解・発見に主眼を置く」といったところからも、今の時代の流れはわかります。
ビッグデータの話も同様ですね。

哲学的な話としては、それらの理論が全て要素に還元できるかを議論する派もあるそうですが、「それを無益な議論」と考える林教授に僕も賛同します。

ヴェーバー的立場をとって、自然科学で解明できるものには限界があるとする態度をとるか、ホーリズムの思想で立ち向かうか、という思想的対立があったようですが、著書の中では、「再魔術化」というぐらいですから、このホーリズムの側に焦点を当てられて話が進んでいきます。

ユクスキュル

人物紹介
  • 反民主主義
  • 科学の世界では、正しい天才が、すべてを支配する
  • 幼少のころから神秘主義的で、機械論的世界観を強く嫌った
  • 脱魔術化が開始される以前の時代に自分のアイデンティティに置く
  • Umwelt の生物学と連動して、その生物学を通しての影響力を通して、ドイツ社会での政治についても発言
理論

(詳細を説明するのは重要ではないので、講義資料参照)

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以上の説明で明白だろうが、Umwelt と subject との関係は、インタラクティブで双方向的であり、脱魔術化された世界の一方向的観測と大きく違っている。この意味で、すくなくとも非脱魔術化である。しかし、使われている用語が、非常に機械的なものであることも事実。それは妖精や精霊がいる世界とは異なるように見える。

ユクスキュルは、このような Umwelt を、それぞれの subject の周りに想定し、それらは、ダニの機械的と言いたくなる function circle のように、種に特有の設計図 Bauplan で動いていると考えた。そして、それら全体が、また、あつまって、インタラクティブに動いており、それらも、また、神の見えざる手のような Bauplan で動いているとした。

林教授の論考

さて、ここからの話が最重要となってきます。
上述の、ユクスキュルのfunction circleの話は、現代においてはテクノロジーの話として語ることが容易にできます。
いわゆるCPUを組み込んでしまえば実装できるということです。

  • ユクスキュルは、Funktionskreis の中心の Innenwelt 内的世界に座る subject に、生命を見出し、その生命がもつ、設計図 Bauplan の中に「目的論的価値」を見出そうとした
  • 現代のIT技術や制御技術は、ユクスキュルが彼の Funktionskreis に見出そうとした「生命」や「魂」は、電子機械で代用できることを証明してしまった

ユクスキュルの生物学は、再魔術化なのだろうか、それとも「脱魔術化された魔術」なのだろうか?

ここが最重要ポイントです。

僕はこのユクスキュルの話は一種の生気論の話と捉えることができると思っています。
そして、ユクスキュルの生気論は、CPUによって代替可能になっている。これは再魔術化とAnn Harringtonの著書では語られているが、『脱魔術化された魔術』なはずなのです。

そして、このCPUによって代用可能という部分が落合さんの話にも帰着します。

「再魔術化」がユビキタスコンピュータの社会普及に伴い、より本格的に進行している

まさにこの部分と合致する話なのです。

なので、僕が感覚的に、落合さんの語る「魔法」「魔術」として理解できるものは、「CPUなどによって、生気論を機械的に乗り越えたもの」だと思うわけです。
ゆえに、「原子力発電」や「マクドナルド」、「インターネット」は魔術自体ではない、とも述べてきたのです。

最後に

ここまで話してきましたが、あまり面白い論考にはなっていないという自覚があります。
結局は、林教授の講義資料を読み込んで、「再魔術化論」を色々な側面から理解して、落合さんの話と照らし合わせるとより理解が深まるというわけでした。

うーん、だめだなぁ。。。