現代アートがわからない人へ ~現代アートの読み方~
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現代アートがわからない人へ ~現代アートの読み方~
前置き
もうしばらく前のことになりますが、キングコングの西野さんが絵本を無料で公開した時に、
随所で批判や賞賛が起きていました。
そんな中、一つのツイートが目に入ります。
キングコング西野さんに対して、ゴチャゴチャ批判してる「クリエイター様」は一生ビンボーでいなさいってこった。クリエイションで金を稼ぐには「戦略」がいるんだよ。アーティストとしての好き嫌いは別にして村上隆の本でも読め!>芸術起業論
— 田端 信太郎 (@tabbata)2017年1月22日
LINEの田端さんのツイートですが、そこで紹介されていたのは村上隆さんという、日本の現代アーティストの著書でした。
村上隆さんのことは、それまでに数回、東京藝術大学にいる知人から聞いたことのあった名前でした。
「アートを金稼ぎと割り切っている、って言われたりしている」
「藝大では村上隆のことが嫌いな人が多い」
この言葉だけを知っていたところに、『起業論』と名のつく著書。
そして、キンコン西野さん・LINE田端さん。
実に刺激的なセットです笑
こんなこともあり、しばらくたっても忘れることができなかったこの本を、数週間前に購入し、読み始めました。
『芸術起業論』内で語られる日本への痛烈な批判と、世界で戦う村上隆さんの矜持。
痺れる数々の言葉に圧倒されながら、村上隆さんの視点からの現代アートの見方を少しずつ理解していきます。
そんな中、ふと自分の立ち位置を振り返ってみたのです。
- 4月からはメディアアーティスト/落合陽一研究室に行く
- メディアアートはコンテンポラリーアートの文脈からも語られる
こうした状況を前にして、現代アートを理解できなくては話になりません。
そこで、村上隆さんが喋っている動画を探し始めます。
しかし、村上隆さんが日本の芸術界と割と決別していることもあってか、発見できる動画はそう多くはなかったのです。
そこで、次にもう一冊の本を買ってみることにしました。
ここでも村上隆さんの世界での闘い方、日本への批判など、強烈な言葉が数多く並んでいます。
中でも興味深かったのは、世界での闘い方の一つとして、世界の現代アートの潮流を解説している部分でした。
今まで、現代アートを全然わからなかった自分ですが、ここに来て、他者のフィルター、
しかも、世界で活躍しているトップアーティストのフィルターを通して現代アートの世界を知ることで、
理解するためのキーを少しだけ手に掴むことができたのです。
そして、ここからより理解を深めるために、次は海外で発表されている美術批評を探すことにします。
というのも、村上隆さんの著書にもある通り、日本では世界のメインストリームにある現代アートがほぼ理解されていません。
さらに、日本のアート界全体で見ても、批評が充実しているとは言い難い状態です(西野さんの一件を見てもわかる通り)。
であるならば、日本人著者の本を読んでも、現状を把握することは到底叶わないのです。
一方、ニューヨークやロンドンなどでは、美術館とともに常に批評家がいる状態です。
そこで発表される批評には、現代アートを理解するためのキーが必ずあるはずです。
What Are You Looking At?: The Surprising, Shocking, and Sometimes Strange Story of 150 Years of Modern Art
そう考えた僕は、英文の美術書を買って読んでみたのです。
まだ、現代の部分しか読んでいませんが、それでもいくつもの気になる表現が見つかりました。
ここまでを理解した上で、改めて『魔法の世紀』(落合陽一)を読んでみると、相当に刺激的だったのですが、
『魔法の世紀』・落合陽一さん、に関する話はまた次回。
今回は、落合陽一さんの話を理解するための前準備として、現代アートの読み方について話していきます。
(随分長い前置きとなってしまいました笑)
追記(2017/03/08):次の記事
現代アートの読み方
今回の話は、アートには興味があるがアート業界にいないような人がメインターゲットになると思います。
美大卒・在学だったり、美術部だったとかいう人は、「そんなこと知ってるよ」とか「何言ってるんだ」と思うかもしれません。
しかし、蚊帳の外にいた僕にとって理解しやすいように話すつもりです。
その点は、あらかじめご了承ください。
さて、現代アートの読み方、と仰々しいタイトルをつけましたが、やることはシンプルです。
具体的な作品をいくつか理解できるようになるだけの話です。
では誰の作品か、というわけですが、
の2人にします。
現代アート界では、まさに売れっ子の2人です。
その売れ具合というのは、
世界で最も稼ぐ美術家10人:1位はデミアン・ハースト【2015-2016年度】 - アートコンサルタント/ディズニーやミュージカル、ビジネス情報サイト
2015-2016期ですが、世界で最も資産のあるアーティストTop10において、
- ダミアンハースト:1位
- 村上隆:6位
というぐらいには売れています。
- 1作品:何億・何十億
という世界です。
ちなみにダミアン・ハーストがどんな人なのか、インタビュー動画を見てみることにしましょう。
TIME誌のインタビュアーの方もかなりキツめの人に思えますが笑、
それ以上に、僕はダミアン・ハーストの、なんというんでしょうか、『下品さ』が結構意外でした。
世界一資産を持っているアーティストは、もっと自分を高く見せるような人物だと勝手に思っていたからです。
まぁ、ネックレスとか指輪とかはめっちゃ高いものなのかもしれませんが笑。
ちなみに、ベッカムのお気に入りがこのダミアン・ハーストらしいです。
ドクロ・イギリス人、ここら辺がハマったんでしょうね。
それでは読み解いていく具体的な作品を見ていくことにしましょう。
1. 『A Thousand Years』(Damien Hirst; 1990)
まずは作品の画像を見ましょう。
引用:A Thousand Years - Damien Hirst
何が起きているかお分かりですか?
- 死んだ牛の頭があります
- そこにハエが卵を産みます
- 卵からウジが誕生します
- ウジは牛の頭を食べて成長します
- やがてハエになります
- 牛の頭の上には、電撃殺虫灯が吊るしてあります
- これに当たったハエは死に、床に落ちます
- ハエの死骸はそのまま残っています
- 角にはハエの餌でしょうか、砂糖がボウルに入って置かれています
これが『A Thousand Years』というアート作品です。
この写真だけではサイズ感がわからないでしょう。
もう一つ写真を載せます。
(A thousand Years, 1990, photo by Oli Scarff/Getty Images)
ダミアン・ハースト展のレポート記事で、8歳の女の子がこれを見た瞬間、悲鳴をあげてお母さんのところに駆けていったそうです。
当たり前ですねw
写真を見ているだけでも吐きそうですから。
さて、問題は、これがなぜアート作品なのかという話です。
ですが、その前に僕のように知識がほぼない人用に、簡潔にコンテンポラリーアートの特徴を記しておきましょう。
コンテンポラリーアートの特徴
コンテンポラリーアートの特徴は、一言で言えば『文脈のゲーム』という点です。
これは、日本の美術教育とは正反対の話である、と村上隆さんは痛烈に批判しています。
小学校か中学校の美術の時間に、絵を描くときに、
「感じたままに描きなさい」とか「自由に描きなさい」と言われた経験はないでしょうか?
小学生の絵画コンクールに誰かが入選して、クラスの美術の時間に、美術の先生は、
「彼/彼女の感性に沿った色使いが素晴らしかった」
「彼/彼女にはこんな風に写ってるんですね」
とか言わなかったでしょうか?
まさにそれです。
これは、明治維新期、西洋美術が日本に入ったとき、当時の絵画が印象派だったこと、
そしてそれをベースに日本の教育が作られたことが原因ではないか、と言われたりしますが、
そこの批判はこの辺にしておいて。
つまり言いたかったことは、日本人の多くにとって、美術は「感覚でこなさなければいけないもの」と考えられてしまったのです。
先日、アメリカの大学に留学中で、脳科学やエンジニアリングを勉強している後輩と少しskypeをした際、
アート・芸術について少し話したのですが、そのとき彼は、
「アートって、見たり体験したときに、脳の中で何かと何かがバチっと繋がって(ニューロンとかからのイメージ)、大きな感情起伏が起きるようなものだと思ってます」
と言っていたのですが、
このアートのイメージというのは、まさに日本の美術教育が作り上げた賜物です。
しかしながら、現代アートの今の姿というのは全く違った様相を呈しているわけです。
現代アートの幕開けといえば、マルセル・デュシャンの『泉』です。
【作品解説】マルセル・デュシャン「泉」 - 山田視覚芸術研究室 / 近代美術と現代美術の大事典
便器に「Mutt」と書いて、これがアート、というわけです。
感覚で理解できるか、といえば完全にNoです。
(ちなみに、この作品もオークションでは数億円の価値がつきました)
ではこれがなぜアートか。
それはピカソの話に移っていきます。
(ピカソ作:「アビニヨンの娘たち Les demoiselles d'Avignon」)
ピカソのキュビズム原点の作品とも言われているものですが、
まぁ、このキュビズムにしたって、感覚的に感じるのは難しくなってきていますが、
端的にいえば、ピカソがそれまでの絵画をぶっ壊したわけです。
いろいろな手法で現実などを絵画に落とし込んでいたのに、突然とんでもない方法がピカソによって確立され始めたのです。
そうすると、絵画をどうやって書けばピカソを超えられるか、というのが相当難しい命題として立ちはだかります。
この問題に対する解決方法として出てきたのが、「絵を描かない」でした。
(ざっくりとした説明なのは、理解が不十分な部分もあるからです。
詳しく知りたければ、村上隆さんの本やそれ以外の美術史の本などを読むことをお勧めします)
絵を描かないでアートをアート足らしめるには、言葉による説明が不可欠になってきます。
この言葉による説明、というのが文脈(context)になってくるわけです。
その説明によるアートが現代まで続いている。
デュシャンの『泉』を超えるような作品、もしくは言説が存在できていないため、
まだ、この文脈ゲームの話が続いているのです。
1. 『A Thousand Years』(Damien Hirst; 1990) の続き
引用:A Thousand Years - Damien Hirst
さて、ダミアン・ハーストの作品の話に戻ります。
この作品がなぜ現代アートなのか。
それはつまり、文脈で語られる部分が多分にあるからです。
この文脈の説明は、
What Are You Looking At?: The Surprising, Shocking, and Sometimes Strange Story of 150 Years of Modern Art
この本にまさに教えてもらいました。なので、受け売りといえば受け売りです。
本文を読みたければ、ぜひ本を買ってください。
では、ダミアン・ハーストの作品を振り返ります。
まず、ウジからハエへの成長・牛の死骸・ハエの死骸の放置などから『生命の誕生』そして『生と死』というテーマが存在することがわかります。
このテーマは、芸術の根底にあるような、今までずっと流れてきている文脈の1つですから、もちろん作品の文脈の1つに加わります。
次に、黒枠で囲われた立方体2つ続きと、白のボックスです。
これは、ミニマリズムへの参照というわけです。
(音楽シーンのミニマリズムの方が慣れ親しんでいるかもしれませんね)
さらに、ガラス容器で囲むというのも、参照アーティストが存在するそうです。
そして、砂糖を入れておく容器や、電撃殺虫灯は、既製品を利用するという、
これはデュシャンのレディメイドを参照するものとなるわけです。
...etc
テーマは、過去も現在もそんなに大きく変わりません。
表現したい内容というのは、それほど変わるものではないのです。
ただ、それをどうやって表現するか。
夕日の美しさを表現するのに、絵画の手法の中で様々な方法が試されてきたように、
今度は絵画の枠を飛び越えて作られていく。
それが、現代アートのやり方であり、これを知って鑑賞するのが現代アートの読み方というわけです。
2. 村上隆のスーパーフラット
さて、ダミアン・ハーストの衝撃で、少し現代アートについていただけたと思うので、
あとは、ちゃんと村上隆さんについても見ておきたいと思います。
そもそも村上隆さんが海外からどういう風に評価されているかといえば、
村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで― | 開催中の展覧会・予告 | 展覧会 | 横浜美術館
スーパーフラット展などにも見受けられるように、平面的な絵画が特徴としてあります。
カイカイとキキ「たのしいな」
( 出典: supergaigaigigi.blog22.fc2.com )
こういうのを見て、アニメやサブカルの影響があるというのは、一目瞭然ですが、
それだけの話であれば、決して海外でここまで評価されるには至らなかったはずです。
では、一体何を文脈として持って行ったか。
それはまさしく『浮世絵』です。
浮世絵がゴッホに影響を与えた、なんて話は有名ですが、
要するに江戸時代に、オランダやらなんやらと交易した時に、日本の絵画や彫刻が西洋に輸出されます。
そして、その影響を受けた作品が存在し、キュビズムとかまで話が広がったりするわけです。
この浮世絵の持つ文脈と、現代日本のアニメ・漫画・サブカルチャーの文脈をつなげてプレゼンをし続けているのが、
村上隆さんというわけなのです。
英文の中に出てきた『浮世絵』に関する言及を以下、そのまま引用します。
Japanese imagery had played a huge part in the development of modern art.
The Impressionists, Post-Impressionists, Fauves and Cubists all looked to the beautifully constructed flat picture planes of the nineteenth-century Japanese Ukiyo-e woodblock prints for inspiration and direction.
これを見た時、村上隆さんに対する評価の意味がしっくりきたと同時に、
嬉しくも悲しくもなりました。
嬉しいのは、日本の文化が西洋に与えた影響を評価され、それが現代にも還元されているという部分で、
一方、悲しくなったのは、浮世絵以外にはないのだという部分です。
しかし、これはあくまで西洋美術史の中での話です。
そして、現代において西洋美術史がアートシーンのメインストリームたるのは、
資本主義経済で覇権をとったアメリカの存在あってのものです。
これからの時代、ポストインターネット時代とでも言いましょうか、
変動していく時代において、どういったポジション争いになるのかわからないわけですから、
ここからがまた勝負と言えると思いたいです。
余談
ここまでくれば、現代アートの読み方自体は少しはお伝えできたと思います。
なので、あくまでここから先は余談です。
村上隆さんの本にもありますが、芸術はあらゆる分野に存在する、という話に近い話です。
スポーツも同じような業界だよな、といった話です。
、、、と思ったのですが、
ここから先は、また今度にしましょう。
意外と長くなりそうな話だったので笑
近いうちに、このコンテンポラリーアートの話から、落合陽一さんの話に繋げていきます。
『メディアを作ることがアートである』
これは落合さんがよくおっしゃっていることですが、この辺の説明にもなってくると思います。
今の段階でコンテンポラリーアートがよく理解できている方であれば、
『魔法の世紀』の第2章〜第3章を読まれることをお勧めします。
それではまた、近いうちに。